2007年4月27日 (金)

ブログ引越し

前回書いたように、ここハルピンからニフティのココログにアクセスが出来ません。

ニフティーに問い合わせてみましたが、『そのような情報は届いておらず、お客様の加入のプロバイダーにお問い合わせください』という返事でした。

プロバイダーに問い合わせろと言われても・・・・・。
インターネットが国家管理であるため、そんな問い合わせに回答が得られそうにもないと思うのですが・・・・・。

同じように、中国のココログのブロガーが、アクセスできないと言うような記事を書いてあるのを多数見かけました。

これはやっぱりアクセス制限がかかっているのではないかと思われます。
わたしのブログだけが制限されているわけではなく、すべてのココログブログがアクセス不能なのです。

そこで、しばらく時間を置いてアクセスできるのを待っていましたが、いまだ回復しないため、引越しをします。

しがないマイナーブログですが、多少は読んでいただいている方にお知らせします。

今後は以下のアドレスから閲読をお願いします。

http://plaza.rakuten.co.jp/syouhong/

楽天ブログで、『ハルピン』のたりのたり生活、と同じタイトルで開設しております。

ココログが復活したらまた考えたいと思います。

楽天ブログにまだ慣れていないので、やり方などが分かりづらいところがあり、若干アップに時間掛かりました。

ココログの管理画面にはアクセスできるのでこの引越しのお知らせを読まれた方は、ココログも削除せず、楽天のほうもお気に入りに入れていただき、両方のアドレスを保存しておいてください。

時間をかけて引越しをしていきたいと思います。

では、皆様よろしくお願いします。

ショウ

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2007年4月 2日 (月)

お知らせ

臨時のお知らせをいたします。

先月3月下旬から、ニフティーのココログのブログにアクセスできなくなりました。
私のブログのみならず、ココログのブログ全てがアクセス不能です。

其の他のDOBLOGやライブドア、はてな、などは通常にアクセス・閲読が可能です。
一般のHPやニュース、メーラーもなんの支障もありません。

なぜか、ココログのブログのみアクセスが出来ません。

しかしながら、ココログの管理画面にはアクセスが出来るので、ブログ更新は可能です。
ただし、画像は添付できません。
そのため、更新は努力してやろうと思いますが、編集画面の表示が出来ないのと画像が添付できないため、やはり不便です。

更新を少しでも楽しみにしていただいている方々には、下記のHPの中でも見ることが出来ます。

http://www.apalog.com/chuka/

お世話になっているアパレルウェブの中でのブログです。

このサイトでも同じ内容でブログ配信をしていますので、よろしくお願いします。

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2007年4月 1日 (日)

送別の三月

3月から4月にかけては、日本では年度替わりです。

ハルピンでもこの数年に幾人かの人たちを見送ってきた。
今年の3月は、ハルピンで大変親しくさせていただいた方をお見送りすることになった。

中国は日本と違い3月で年度が終わる事は無く、学校なども4月から始まる事はない。アメリカなどと同じように、学校は9月始まりです。
この3月で年度が終わり4月から年度が始まる日本の習慣はある意味合理的であるような気もします。
4月にはサクラが入学式を彩り(今年は暖冬でちょっとずれましたが)、春が1年の始まりと言うのと非常にマッチしている。企業も12月で年度を終わりとすると、忙しい年末に財務の締めを行なうことになり、殺人的に忙しくなるでしょう。

ハルピンの3月は日本風の感覚から言えば真冬のような気温ですが、それでもかすかに春の到来を予感させるものがあり、何となくホッとします。

この度ハルピンの生活を終え日本に帰ることになった方は、日本語教師で尽力してきた「老師」さん、黒龍江省への派遣公務員として来ていた「ハンゾー」さん、民間ですがハルピンの大学で日本語教師をしてこられた「マリアンヌ」さんや「エヌ島」さん、また留学生として兼遠大のフラワーショップの顧問の「エフティエン」小姐、新潟のIT企業から派遣されていた「Mイエ」さんなどなど。

ハルピンに在住する数少ない日本人と親しく交流していた中国の方たちと送別会なるものも開いたりしました。
送別会ではちょっと張り切ってハルピンでも高級なお店で行ないました。
最近ハルピンでも流行の「川菜=四川料理」などのお店です。 Photo_45

3月は卒業式や人事異動が多く、何となく別れの季節やけじめのようなイメージです。
4月は逆に入学式、入社式があるので、出会いやスタートの季節のようなイメージです。

今回はお見送りばかりをして、寂しい思いをしました。
日本に帰られた方々はまた日本で新しい生活を始められる方、以前の生活に戻られる方などですが、ハルピンでの生活が楽しかったと思っていただければと思います。
色んな想い出がハルピンにあった事と思います。
海外での生活は全ていい想い出だったとは言えない事もあったでしょう。
それでもいい経験になったと、帰国してから思えるようになるのではないでしょうか。
これからの皆様のご活躍と、ご健康をお祈りします。

今日、上海からハルピンに帰って来ましたが、暖かかった上海と違い、ハルピンは大雪。飛行機のダイヤも大乱れでした。

本格的な春はもう少し先のようです。Photo_44

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2007年3月18日 (日)

雲南・麗江旅遊Ⅲ

雲南の旅も最終日になります。

今回の旅は5日間だけの短いスケジュールしか立てられなかったため、本来は行きたかった所も割愛しています。
雲南は、麗江など以外にも素敵な所が沢山あるようです。
例えば、石林、、大理、景洪(西双版納)などがそうです。

日程的に我々が選んだのは、昆明です。
昆明は雲南の省都でもあり、ハルピンに帰るにも便利なため1泊を予定しました。
1999年にここで世界花博が開かれた所です。
ある方のメルマガで、昆明でのホテル勤務を通じての苦労話などで、寿命が10年縮んだという内容のものでしたが、とても面白くて興味がありました。

昆明は省都で市の中心はとても賑やかな所でした。
ホテルにチェックインを済ませたあと、すぐに雲南民族村という所に向う事にしました。
中国の観光案内で紹介されていたので、先ずはそこに行ってから他の寺院などを見るつもりでした。
しかし、そこの民族村は想像以上に大きく、結局夕方近くまでそこで過ごす事になりました。

雲南省には25の少数民族があるそうです。
この民族村の中には、納西族、白族、壮族、ダイ族(人偏に泰)、哈尼族、蔵族、彛族、など約15の民族の住居や生活が再現され見学できるようになっています。それぞれの民族の方による歌や踊りの出し物もやっていたりします。
場内には引き続き建設中のところもあり、将来は25の民族村が全て揃うとの説明でした。

場内がかなり広いため、私たちはまず食事を済ませて、ガイド付きで回る事にしました。
食事は場内の民族風味食品館という所でとりました。雲南特産の「過橋米線」です。熱いスープと米線や色んな具材が別々に出てきます。それを服務員が目の前で混ぜてくれたのをいただきます。具材は値段によって種類が変わるようです。Photo_38

食事を終え入り口近くでガイドを頼みますが、その詰め所には各少数民族の衣装を着たガイドが沢山待機しています。私たちは、白族出身のガイドさんを頼み園内を回る事にしました。
園内では、像のショーが見たり、各民族村のポイントを案内してくれます。
ガイドは普通語での案内ですが、とても分かりやすい発音でさして苦もなく理解できました。普通語を普段の会話手段としてない者同士なので、返って分かりやすい面があるようです。

ダイ族の村では、そのショーの最後に民族の結婚式の新朗役をさせて貰い、皆で民族ダンスを踊ったりもしました。Photo_39
雲南はベトナム、チベットとも近いためかその生活様式などは、中国と言うより東南アジア風の雰囲気が色濃く漂っています。
納西族の言葉で「こんにちわ」は、「アララレ」、白族は「ノチョ」と発音するのだと教わりました。中国語とは全く違います。
白族の村では中国茶を飲ませていただき、白族が作るという「石頭茶」という茶葉を買いました。雲南では普洱茶が有名ですが、このお茶は烏龍茶の1種のようです。茶葉の発酵度で異なるようです。石頭茶は見かけが小石のように丸めたものなので付けられたようです。普洱茶よりはあっさりと飲みやすい味です。Photo_41

3時間余りを園内で過ごし、市内に戻り歩行街を散策。夜の食事は小吃街のそばにあるしゃれたレストランで取りました。四川風の料理はなかなか味わえない物で、ハルピンでの四川料理とはまた一味違うものでした。
豚肉を薄切りにしたものを洗濯物を干すようにぶら下げたものは、絶品ですよ。7_2

最終日はこのように更けていきました。

昆明から帰る飛行場で白族のキーホルダー型人形を一つ買い求めました。
民族村でのガイドさんが白族だったため、記念として買いました。

今回の雲南旅行はスケジュールがタイトだったためそんなに沢山のところが回れず、若干残念でした。次回もまた来る時はゆっくりと滞在し出来れば少数民族の方たちとも交流できるような旅がしたいと思いました。

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2007年3月15日 (木)

雲南・麗江旅遊Ⅱ

麗江の3日目の朝です。

今日は、麗江の町を離れて『虎跳峡』という所へ出かけた。
麗江からは車で2時間半前後、玉龍雪山と哈巴雪山の間に位置する、『世界最 大級の渓谷』です。
金沙江がその間を流れ、その高低差が3900mと言われる大渓谷です。
この河に手前が麗江で、川向こうが有名な『香格里拉(シャングリラ)』です。
この虎跳峡の途中、ニセ香格里拉のような名前の『香格里』にて休憩した。
シ ャングリラではなく、シャングリ。『ら』抜き言葉ですな。シャングリラ(Shangri-la)とは、元々イギリスの作家、ジェームズ・ヒルトン の小説「失われた地平線」に描かれた仏教徒の理想郷であるシャンバラ(中国 チベット地区)をモデルにして描かれたユートピアの名前であるが、中国でこ の名前を使うにあたり、相当な綱引きが行なわれた結果、雲南のここがシャン グリラの名前をゲットしたそうです。
香格里拉(シャングリラ)の地名を使う以 前は『廸慶』という地名だったそうです。
名前のことはともかく、ここから眺める景色も絶景でした。Photo_37

『虎跳峡』へ着いた我々は、渓谷沿いの遊歩道を歩く事にしました。
写真を撮ったり景色を堪能したりで、片道小一時間ぐらいの遊歩道です。
復路は 人力車を利用して帰ってきました。そのお陰で早いし楽チン。
大理石を含む白い岩肌の大渓谷は見所があり、飽きさせる事はありません。推 量の多い雨季ではなかったので、渓流の流れはたいした物ではありませんでし た。
しかし、水の色が青ではなく、絵具で付けたような緑なのは何故だったの でしょう?0702267 0702266

『虎跳峡』見学後は、納西族のやっているところで晩めの昼食。
素朴な店で、野菜料理・豆腐料理をいただきました。空気もうまいし食事もう まい。

『虎跳峡』を後にし、今度はガイドブックにも紹介されていた『長江第一湾』 へ向いました。金沙江がUの字に湾曲したところで、時期がよければボートに乗って遊覧『漂 流』することも出来ます。
我々は寒かった事もあり、パス。そこは石堤と言う町ですが、そこにある民族資料館のようなところを見学。
少数民族演奏をやってくれたりもしましたが、昨日だけでも2回見たので若干 感動度は低めで・・・・。
麗江の伝統的な家屋は、日本のように瓦葺なのですが、ちょっと気になる事を 発見。一つは瓦を葺くのに屋根の骨組みの上に直接置く様にしてしているため 、下から見上げると瓦の裏側が丸見えなこと。実に簡単な屋根の作りです。
もう一つは、屋根の軒先に特徴的な装飾がしてある事。この特徴的な飾りは、 『魚』の形をしています。これは、中国語の『年年有余(年々余りがある=余 裕がある)』の『余』の発音が『魚』と似ているので、魚を飾ると縁起がいいと されていることに由来しているそうです。写真を参考にしてください。 0702265

石堤を後にして麗江の町に戻り、まだ見てない古城を散策する事にしました。雲南はハルピンよりかなり西にあるにもかかわらず時差も無いため、遅くまで 日が暮れません。
その代わり朝は7時でも暗かったが。
そんな訳で、麗江の町を高台から眺めようと万古楼のある獅子山を目指しまし た。
途中迷ったりしましたが、町並みを見下ろせる絶好の場所を見つけ、夕闇 の迫る麗江の屋根瓦の撮影に成功しました。
この景色は絶対見るべきですね。0702263

暗くなりかけた街の中心部に戻り、今日も納西族料理を頂きました。納西風鍋料理です。
ビールも麗江の地ビール(風花雪月と言う名前)を頼みましたが、味は非常に淡白 です。ホップの利いたビールが好きな人には物足りないかも知れませんね。
個人的にはハルピンビールが一番おいしいとおもいますが・・・。

明日はいよいよ最終日です。あさ早くに宿を出て昆明に向います。ではまた。

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2007年3月 5日 (月)

雲南・麗江旅遊Ⅰ

中国の旧正月明けに休暇を利用して、雲南に行って来ました。

この旅はハルピン異職朋友でもあるM山老師とのいわゆるやじきた道中です。
昨年、高倉健主演の『単騎千里を走る』という映画を見て、ぜひ行きたいと思っていた所です。
ハルピン→北京→昆明→麗江と、2度の乗り換えを経て麗江へ到着しました。
朝6時に家を出て、麗江の宿屋に着いたのは夜7時半過ぎでした。
麗江での宿泊は、ミクシー繋がりで『文太』氏がこの2月にオープンさせたばかりのゲストハウスです。完全オープンではなかったのですが、ご好意で宿泊させていただきました。
納西族の伝統的な家屋を改造して宿泊施設にしている、情緒溢れるゲストハウスです。
その夜は、文太氏とそのスタッフ達とこれまた麗江の地元料理を一緒に食べに行きました。Photo_36

食べた後は、夜の麗江の街、『古城』をぶらぶら見て回りました。
ここは1997年にユネスコの世界文化遺産に指定されていて、『四方街』と呼ばれる周辺エリアを中心に石畳の小道が網の目のように広がるなかで、納西族独特の2~3階建ての古い家屋が密集しています。
お土産屋、食べ物屋などが無数に軒を並べています。
古城の中心には、古い建物をそのまま利用したバー(パブっぽい)が路地を挟んで並んでいる所があり、沢山の人で賑わっています。
当地では有名な「SAKURAYA(櫻花屋)」にも立ち寄り、歌や踊りで賑わう店内での一時も過ごしました。2_6

翌日早朝、まだ静かな麗江の町を散歩がてらぶらぶら、途中納西族のおじさんがやっている小さなお店で「米線」を注文。おじさんの勧める「永勝油茶」と言うものを飲みました。味は甘いのと塩辛いのがあるとのことで、塩味を頼みましたが、2口3口で止めてしまいました。インドのチャイに似た飲み物です。

2日目は、麗江の見所の1つである「玉龍雪山」「束河古鎮」「拉市海」に行く事にしました。
玉龍雪山は、麗江からも望める標高5596mを誇る山です。頂には万年雪を頂いた名山です。玉龍雪山を間近に望める所まで行き、写真撮影。3_1
その雪山の麓にある納西族の記念公園のようなところを見学しました。
納西族のガイドさんは驚いた事に日本語が少し喋れる方でした。必死に喋ろうとする彼女には頭が下がります。
納西族は麗江を中心とした地域に住む少数民族。12_2
納西族には、「東巴文字」と呼ばれる象形文字を持っている。東巴(トンパ)は、納西族の祭司=和尚たちを指す言葉だそうです。東巴経という仏教に似た宗教を信仰しており、その東巴経の神の絵や像を見学しました。
その際に、その納族の東巴紙に東巴経の宗教絵が描かれたものを購入しました。東巴の神は自然と一体になったものだそうで、虎と牛が守護神のように寺院の両側に置かれています。
納族の宗教文化は一種独特の発展をしてきたようです。

「束河古鎮」も納西族の古い家屋などの集まる所です。11_2
四方街よりも素朴なまだ観光用に毒されてない感じがあります。
そこで、我々は雲南名産の普洱茶・プーアー茶を飲みながら午後の一服を楽しみました。その風情ある御茶屋では何かドラマの撮影が行なわれたとこらしく、写真で紹介されていました。10

次は「拉市海」という所です。ここは湖がありそのほとりで乗馬が出来るとのことでした。あまり時間が無かったのですが、我々は1時間半ぐらい乗馬を楽しんできました。湖には水鳥や鶴(?)が沢山いて、夕方だったので少し幻想的な風景でした。

夜、麗江の古城に帰ってきた我々は、夜の部に突入。
納西族の古楽器による演奏が聴ける『納西古楽会』と言うものに行ってきました。80歳を超えるようなお爺さん達を含む音楽隊の奏でる納西音楽を2時間ぐらい楽しみました。納西族の方は長寿の方が多いようです。8_1

音楽会を聞き終え外に出ると、もう10時近くになっています。四方街のパブ街は相変わらず賑やかそうですが、我々は文太さんの宿へ向い、そのゲストハウスのお客さんも含めて深夜まで喋っていたりしました。
明日行く所などの情報なども仕入れ、3日目に備えて就寝。

麗江の夜はけっこう冷えます。日中は20度を越えていたのに夜は暖房が要るぐらい気温が下がります。
そんなわけで、明日から3日目に突入です。
この続きはまた次回。

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2007年2月14日 (水)

舞林大会(新年会)

中華圏が旧暦(農暦)で動いている事は人口に膾炙されていることでしょうか。

年末ともなれば日本と同じように、色々と慌しくなってくる。
今年の春節は2月28日なので、西暦から言うとかなり遅めである。
そんな中で我が百貨店の新年会のようなイベントが催されました。

『晩会』と言われていますが、毎年従業員の福利厚生の一貫として行なわれて います。
今年のテーマは『舞林大会』と言い、ダンスや踊りを主題にして行なわれました。
因みに昨年は歌を中心にしてPK(勝ち抜き)をやりました。
このイベントのために数週間前から各部署でチームが組まれ、練習を行なって きました。個人参加もあるため全部で40近くのエントリーでした。本番を前にこの中から本戦に進めるために、予選会も行なわれました。
審査員はハルピンの舞踏学校の教師やメディアの方々を招いての本格的な予選会です。

私は去年は審査員の一人として見ていればよかったのですが、今年はスタッフ から無理やりの参加を頼まれました。
私はスーパーマーケットのグループに入り、『手絹舞』という東北秧歌(東北地 方を中心に熱心に踊られている民族的な踊り)の一種をやる事になりました。Photo_34
厚手のハンカチ大の布にビーズで丸い同心円上の模様をつけた物を両手に持ち 、それを指の上でクルクル回したり、バトンのように左右で回転させたり、高度なものは片手でその布を縦回転させたりします。
予選会では見事練習の成果もあり、本戦出場権を勝ち取りました。 (実は私は忙しくて3回ぐらいしか練習に参加していません・・・・。)

この晩会はM山老師の滞在するホテルの横にあるホールを借り切って行なわれました。この晩会には約5百名近くの従業員が集まりました。
その日上海へ出張だったので晩会には遅れて参加。私達の出し物は夜10時ぐ らいに行なわれました。
各チームの熱演や幹部による抽選会、プロのダンサーによる本格的なダンスな どを全て終えたのは12時近くでした。
ダンスの最終表彰では、我がチームは残念ながら最優秀賞には届きませんでし たが、ベスト10の中には入りトロフィーをゲットしていました。

社内の催事なのですが、顔パスでM山老師にも鑑賞していただきました。
私は踊りに参加はしましたが、踊りの衣装がこっぱずかしい感じのものでした 。
スタッフはカッコイイなどと囃します。
内心ほんまかいな?と思いながら、これも経験だわとそのこっぱずかしい衣装 で踊りました。
まあ、社員や派遣の方々も喜んで見て頂き、去年よりは退屈しなかったプログ ラムだったので、とっても良かったんじゃないかと思います。Photo_35

日本にいた頃、労動組合の主催でこのような大掛かりな社員慰労会を行なった という記憶があります。
また台湾でも『尾牙』と呼ばれる大忘年会も日本人スタッフとして東京音頭を 踊ったりしたこともあります。
高度成長期の中国では、今の日本ではやれないこんなイベントが可能です。

私にとって嬉しいのは、酒を飲んで愚痴をこぼしたり、内輪で会社の悪口を言 うだけのような日本式忘年会はこりごりなので、こんな楽しい仕事の疲れが取 れる様な忘年会(新年会)が新鮮なことです。

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2007年2月 7日 (水)

新聞記事

中国でも毎日詳しくとは言わないまでも、よく新聞には目を通しています。

中国にもたくさんの新聞があり、日本の数に比べると数倍近い新聞が発行されているのではないでしょうか。
日本では、朝日、読売、産経、毎日、日経などの全国紙を中心に各地のローカル新聞社が新聞を発行しています。
それに加えて、業界新聞、スポーツ紙、ミニコミ紙といったものが選択肢としてあります。

ハルピンでも数紙が発行されています。
ポピュラーなものとしては、生活報、新晩報、哈爾濱日報、黒龍江省日報等がる。
会社でも各種の新聞を取っているため、時間があるときは見るようにしている。主にはライバル各社の新聞広告や業界動向、業界に関係のある記事などは全てスクラップされるため、情報収集部門に聞けばすぐに出てくるようになっている。

そんなある日、新聞を見ていると気になる記事を見つけた。
中国の新聞に日本の皇室の記事が出ていたのです。

なんとタイトルは『日本のメディア報道によると愛子は“試験管ベビー”』
となっています。
内容は、以下の感じです。

日本のメディア報道によると、オーストラリア記者ベン・ヒルズの写真集「雅子妃:菊花王朝の囚人」の中で、プリンセス愛子は皇太子妃雅子さまと夫の徳仁皇太子の自然分娩による出産ではなく、体外受精による【試験管ベビー】である。2_5
ヒルズの披露するところによると、1965年以後日本の皇室には男児が誕生しておらず、このため1993年に徳仁皇太子に嫁いだ雅子さまは巨大なプレッシャーを受ける事となった。このような重圧の下、雅子妃はひどい抑鬱症を患い自然受胎できなくなってしまった。妊娠するために雅子妃は2001年から密かにホルモン治療を開始した。このほかに、宮内庁は体外受精の専門家を招いて、彼女のために人工受精を施した。ほどなくして、雅子妃は御懐妊の吉報を得、結婚9年目にしてプリンセス愛子をご出産された。

(中文訳は拙者によるため、誤訳があればご容赦願います)

私は寡聞にしてこの記事の内容を知らなかったので、ネットで検索してみました。
残念ながら私ではこの内容を裏付ける記事を見つけることが出来ませんでした。
この記事の印象としてはデマくさいのですが、真相の云々に関してはコメントしないでおきたいと思います。

しかしながら、皇室の話題をゴシップぽく扱われていたのが気になったので、ブログにはふさわしくないかなと思いながら書き込みしました。

新聞は公器であり、大衆には真実を正しく公正に伝える義務があります。
もちろん色んな新聞各社の姿勢や主張があるので、各新聞にもそれぞれのカラーが出てきてしまいます。
最近日本ではメディアによる捏造ややらせが問題になっているのが現状です。
「納豆でやせる」などの捏造番組を作るなど、もってのほかです。

新聞を読みながら、「ほんまかいな?」と思いながら記事を読むような状況は避けていただきたいものです。

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2007年2月 3日 (土)

ハルピン道外、古玩街

ハルピンの骨董街のことを以前にブログで書いたことがあります。

またまた最近その骨董品外に出かけてきた。
特に目的は無かったのですが、何かいいものがあればいいかな程度で出かけました。
ハルピン在住のM山老師、ハンゾー氏とつるんで行ってきました。
ハルピンの道外区と言う所は、ハルピンでは古くに発展した所です。かつてはハルピンの繁華街として栄えていました。
もちろん今でもたくさんの人が住み、大小様々な店が集まっている所もあり、繁華街を形成している所もある。
ただし、新しい街作りという観点からは少し取り残された感じがあり、いわゆる下町風情の残る町並みである。Dsc00342

そんな訳であたりには古い建物がまだ多く残っているため、非常に興味深いスポットである。
日本人が住んでいたというアパートの跡や、歴史を感じさせる建物が点在し、カメラに収めるのもいい感じである。

目的の骨董街はそんな中にあり、小さな店舗が1階から3階までたくさん入っている。
今日は零下10度以上はあるためか、外の露天売りは少なく、屋内の3階の空きスペースに十数軒が店を広げていました。感じは日本で見かけるフリーマーケットのように、敷物を広げた上に様々な骨董品らしきものを展示しています。

冷やかし半分で見ていましたが、その中で気を引いたのは古いポスターです。
以前にも上海で買った事がありますが、恐らく1920~30年頃の上海などを中心にした租界時代に作成されたものと思われます。
日本で言えば昭和初期のポスターでしょうか。1dsc06242

何軒かでポスターを扱っていましたが、なるべく質がいいものを探してその中で気に入ったものを交渉しました。
その店の主人はお決まりのように、これは貴重なものなので一切負けられない、などと粘っていました。こっちも負けずに希望値段を言い続けました。
徐々に下がり始め、最後は私の粘り勝ち。こっちの言い値で落札しました。
中国で買物するのは、こんな値段交渉が当たり前なので、これを面白いと感じるか、面倒くさいと感じるかは個人の意見が分かれる所でしょうか。

ハンゾー氏は、古い自転車の前照灯のようなものをゲットしていました。
以前に買った中国郵局専用自転車に合わせるつもりなのでしょう。
(中国の郵便屋さんの緑色の自転車です)

骨董街の近くで麻辛面などを食べ、近くの古い町並みや建築を見て周り、写真撮影などを楽しみました。1dsc00335

この骨董街には固定的に店を構えている人と、外地から行商のように売りに来ている人たちで構成されているようです。
行商の方と話してみると、黒龍江省の中のチチハルから来た人、内モンゴルから来た人がいました。
また、麻辛面を食べていた店では、その店の奥にある旅館に逗留して商売を行なっている方にも声を掛けられました。
彼らは遥か西安から来たみたいで、主に陶器類や玉器などを扱っていました。
あいにくその分野は興味が無かったので、我々も少し拝見しただけで、失礼しました。
今度来る時は、チベットや敦煌あたりの絵画などがあれば紹介してくれるそうです。

それが、本物で本当なら楽しみですが・・・。

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2007年1月22日 (月)

銀行カード紛失の難儀

中国で困る事は、色々あると思われます。
その中で、我々外国人が直面する事の中で身分証明のことがあります。

中国や台湾、香港などでは日本と違い皆さんIDカード(身分証)を持っています。日本ではこのようなIDカードは無く、免許証などが身分証の代わりになります。免許証がないと、それに代わるものを用意する必要がありますね。
住民基本台帳によるもの(住基カード)、パスポートなどで、写真入のもので代用するのが一般的でしょうか。

海外ではもちろんパスポートです。

中国では建前常備携帯が義務つけられています。
私もなるべくは携帯するようにはしていますが、このパスポートは海外では非常に重要で、盗まれたり紛失するとけっこう面倒なので正直携帯したくはありません。

最近私は10年有効の期限が切れるため当たらしいパスポートに更新しました。
その新しくしたパスポートのためにけっこう面倒くさいことに直面したのです。

ドンくさいことに銀行系カード(キャッシュカード)を不注意から紛失しました。こちらの銀行カードは6桁パスワードのため日本よりセキュリティは高いほうなので、無くしたことにさしてあわてず銀行に届けをしました。しかしながら、使われないようにするためと再発行のため銀行に行って本人が手続きをしなければなりません。
そこで銀行に行き手続きを行なおうとしたのですが、ここで問題になったのが新しいパスポートです。
以前カードを作った時のパスポートと新しいパスポートのパスポート番号が異なるため、銀行側がこれでは手続きが出来ないとの返事。
そんな馬鹿な!本人確認はこれで出来るじゃないですか!

中国では写真より身分証番号が重視されるようです。
そう言えばこっちの中国人の身分証を見ても、中学校ぐらいに撮った写真で身分証を作り何年も使っています。身分証番号は一生変わらないそうです。
中国では結婚しても性が変わらないため身分証自体も変わりません。
身分証番号・パスポート番号は非常に重要です。
各種カードを作る際には必ず身分証番号が必要です。

窓口で若干もめましたが、古いパスポートを持ってくる事でどうかと提案。そうして下さいとの事だったので、出直しました。
しかし今度の銀行係りは、2_2 古いパスポートに『VOID(破棄)』となっているのを見て「これは無効パスポートなので本人確認が出来ません」とキッパリ。
『じゃあ、一体どうすればいいのだ!』

一緒に行ってもらった会社の中国人スタッフの助けを借りて、窓口係りや銀行のおえらいさんも含めてすったもんだしました。
銀行でも始めての外国人のこういったケースだったらしく、銀行の経理も本行の電話をかけたりして協議していました。

結局は公安の証明を貰って下さいとのことで、すごすごと退散しました。
会社から公安の知り合いに伝えてもらうと至極簡単に証明書が貰えました。この辺は個人ではちょっとシンドイかもしれませんね。

そんな訳で、銀行のほうはその後、紛失カード凍結(取り消しではなかった?)手続きと、新しいカードの発行が出来ました。 1_61

そんな経験をした後、パスポート紛失した方のお話を知ることがありました。
その方は、中国滞在中に結婚したため姓が変わりましたが、パスポートの切り替えをしていなかったのです。
そのパスポートを紛失したため再発行しなければいけないのですが、再発行は当然日本政府発行のため戸籍に基づき新しい姓になります。
その方も銀行カードも一緒に紛失したため、私と同じくえらい面倒な事になったそうです。
その方はパスポートが無いため、カード凍結も再発行も出来なくなってしまったのです。まして、姓が変わったパスポートでは新規再発行も至難の業になってしまったそうです。
そりゃそうです、中国では名前もパスポート番号も違えば本人とは認定しがたいですよね。
ビザの再発行にも相当な面倒な手続きがかかったそうです。

中国滞在の方で、結婚などで姓の変わる方や新規パスポートに切り替えて古いパスポートで銀行などのカード類を発行した人、お気をつけ下さい。
パスポート・カード類を紛失などしなければ直面しない事態ですが・・・。

この注意事項は中国滞在のドンくさい方への忠告です。

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2007年1月16日 (火)

周年慶と富士山の話

2007年が始まって初のブログ書き込み。

年末に一時帰国し、ハルピンに帰ってきてからは我が百貨店の「八周年慶」の開催のため忙殺されていました。

Dsc06025_1

14日に無事その周年慶も終了しました。

昨年の周年慶実績の対比で175%の伸び率です。

営業時間も昨年から延長して行ないました。

通常で朝9時~夜10時、最終の2日間は夜12時まで延長して頑張りました。

周年慶期間中は休み無しの勤務で、勤務も夜12時までだったりと、へとへとに疲れました。

でも、売上がいいと不思議なもんで、疲れも相殺されてしまいます。

「周年慶」は中華社会では、1年でいちばんインパクトのある催事でしょう。

そのため、各社ともいろんな割引優待制度を考えて実施します。

我が店も「満300送200」などの表現で、300元買う毎に200元のポイントカードを差し上げると言う物です。

お店と顧客とライバル店、サプライヤーなどが水面下で虚々実々の駆け引きがあったりします。

毎日幹部で早朝に会議を開いていましたが、そこで予測できなかったことや考えが浅かったことなどの微調整に苦労したりします。

しかしながら、「失敗は成功の基」。反省点を次回につなげてより素晴らしい百貨店に繋げていくことが我々の使命だと思っています。

1年で最大の催事が終わり、今は若干ほっとしているひと時です。

そんな中で、昨日スタッフと雑談していた中で、初めて知ったことがあります。

皆さん「富士山」はもちろん知っていますよね。

スタッフが日本に言って富士山に登りたいと言っていたなかで、富士山はどこにあるのかと質問を受けました。

私は「東京の隣で静岡県ですよ」と答えました。

すると、スタッフの中の物知りが山梨県との間だということを知っていました。

私「そうです。富士山は静岡県と山梨県の間になります。」

スタッフ「富士山は一体山梨県ですか?静岡県ですか?」

私「多分両方の県?それとも国有?」

自信が無かったのでネットで調べてみて発見しました。

富士山は山梨と静岡に跨ってあるものの、両県の登記争いが決着していないため今も県境が引かれていないそうです。

それと、富士山の八合目九勺から上はなんと私有地だそうです。

国有地ではなく「浅間(せんげん)神社」の私有地とされているそうです。

知っていましたか?びっくりデス。

ところでここから私の疑問です。

県境が設定されていないのなら、浅間神社はどっちの県の所属?

行政区が分からないのなら、税金や管理、各種申請はどこがやるの?
浅間神社の神主の住民登録はどっちの県?

もし殺人事件が起きたらどっちの県警が出動するの?

などなど、下世話な心配をしてしまうのが私の癖です。

静岡、山梨にお住まいの方ならご存知でしょうか?

新年にふさわしい話題の「富士」でした。

初夢に一富士、二鷹、三ナスビ、などと言います。

どの夢も見たことはないので、毎年平凡な1年を過ごしているようです。

今年も神戸の生田神社に初詣に行きました。Photo_32

ことしこの生田神社で藤原紀香とお笑いの陣内智則が結婚するとのことで、いつもより人の出が多いように感じました。

今年1年が皆様にとって素晴らしい年でありますように。

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2006年12月24日 (日)

ハルピンでのお見合い

この原稿を今飛行機の中から書いています。

年末に休暇帰国のため、哈尓濱から大阪への飛行機に乗っています。
哈尓濱に関わらず中国は農暦での習慣が多いため、年末の雰囲気は全くありません。
この機内もガラガラで、30名ばかししか乗っていません。Photo_30

そんな中で、日本の方Fさん(男性)と知り合いました。
50代後半ぐらいの方でしょうか。
中国語が出来ないようで、また海外旅行に慣れていないようで、税関のところで戸惑っていたので通訳代わりにお助けしました。

機内でお話をお聞きしたところ、哈尓濱でお見合いのために来たということです。
以前にも同じような日本の方にお会いしたことがありますが、今回少し違うのは個人で来ているということでした。
日本から中国のお嫁さんを探すにはやはり一般的には、結婚斡旋所を通じて高いお金を払ってお見合い・結婚へと進めるようです。
哈尓濱のことや諸事情が分からないので当然と言えば当然でしょうか。

そんなわけで、その方も結婚紹介所のようなもので来ているのかと思っていましたが、違うようです。
知り合いの紹介で哈尓濱でお見合いをやってくれると聞き、単身で哈尓濱に来て、哈尓濱の知り合いに連れられお見合いをしたそうです。
哈尓濱の仲介の方は日本語の出来る中国人で、その人が集めた結婚志望者数名とホテルで会い、その中の気に入った女性と単独でお話をするというものだそうです。
Fさんは、その中でも若くて気遣いが出来ていた女性が気に入り、来月には式をあげるつもりだとのことでした。
そのガイドの中国人には日本円で5万円を支払ったようです。
最初、その中国人のかたのことをガイドと呼んでいたので、単なる通訳で、紹介者は別にいるのかと勘違いしていたので、中3日ほどの滞在で5万円は高いですねとお答えしました。
しかしよく聞くとその中国の方が紹介者のようです。
それなら、5万円なら非常に良心的(?)なのではないでしょうか。

よく聞く紹介所では、紹介から結婚で150万~200万、相手方への結納金やら結婚にかかる費用負担、嫁さんの渡航費など、もろもろで300万~500万と、日本で結婚式を挙げるのとさして変わらない費用が必要です。

この個人での斡旋はそれと比べるとべらぼうに安い気がします。
もちろん個人紹介なので色んな面での保障やフォローはないかもしれません。
また、中国国内法では国際結婚の仲介は禁止されているため、もしかしたら違法なのかもしれません。それなので、知らぬが仏とは言え、けっこう危ない橋を渡らされているのかもしれません。

中国のことをあまり知らないようで、お話していても少し心配な点もありましたが、話の中でふと感じることがありました。
私が中国で経験したり感じたりしたことはあくまで私個人としてのもので、決して普遍的なものではありません。別の方は別の方でもっと違った経験・感想があるはずです。
だからFさんがあまりにも嬉しそうで、無防備だったのですが、苦言や忠言は言えませんでした。
新しい奥さんのビザ取得が苦労するかもしれませんとか、中国での中国式結婚式の心得などをお話したぐらいです。
私の中国観を押し付けるのはよくないのではないかと考えたのです。
まっさらな状態から新しい奥さんを迎え、色々苦労もあるかもしれませんが、偏見なしでスタートしてもらいたいなと思ってしまったのです。

来月(来年か)にはもう1度来中して結婚式を挙げるそうです。
今回1度帰国して準備を整えてまた来るつもりなのです。

年末のガラガラの飛行機の中で、幸せそうに語るFさんと話し込んでしまいました。
また、ハルピンでお会いできることがあるかもしれませんね。

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2006年12月20日 (水)

年の瀬、事故の顛末!

2006年も気がつけば残りわずかになってきました。
ネット上でも「今年の出来事」なんかの記事を見ると、ああもう年末なんだと実感させられたりします。

皆さんの今年1年は如何だったのでしょうか?
中華社会にいると、年末と言う感覚が薄くなってきます。
百貨店業にいたので、12月は年末商戦だとか歳暮ギフトの掻きいれ時だとか、クリスマスの準備などとかで、いやでも年末の雰囲気を味あわされました。

そんな年末の最中なのですが、事故ってしまいました。その日、ハルピンの日本人仲間から、知り合いのOさんがバーを開店する事になったのでみんなでお祝いしに行きませんかとお誘いがあった。
『引擎吧』と書いて『Engine bar』と言います。Enginebar
ハルピン在住の日本人仲間が集まって、開店のお祝いをしました。
私とM山老師、ハンゾー夫妻と出かけ、開店イベントを楽しんできました。

Engine barを後にして、私の車で帰途に着き、ハンゾー夫妻を送りM山老師の送り、そのホテルの出口を左折しようとした時です。
ご存知のように中国は右側走行なので、右から来る車に注意し、交差点の真ん中を過ぎたあたりで右を見ました。
その交差点は信号のない交差点です。
その時に前方からの車もあったのでやり過ごそうとその車を待ちました。
その時です、右から猛スピードで突っ込んでくる車が見えました。
私の車の手前5メートルぐらいで急ブレーキをかけて右に切れながら私の車の右前方にバコンと衝突しました。
かなりのスピードだったので、ぶつかりながら今度は左にスピンして今度は私の車の左前方バンパーに衝突しました。

わたしは運転席で他人事のようにその始終を眺めていました。
あたり具合がよかったのかほとんど衝撃も感じませんでしたが、見るところ相手の車の運転席ドアはけっこうへこんでいました。Photo_29

車を降りると相手の方もものすごい勢いで降りてきました。
運転手は中年の女性で、助手席には男性でした。
二人とも中国語でガンガンまくし立てます。
『お前が悪い、責任は100%お前にあるだろ!対不対!』
外人である私は分が悪いので、会社の担当者の応援を電話しました。
M山老師にも電話するとすぐに駆けつけてくれました。

中国語は分かるのですが、中国語でケンカは難しすぎると判断し、ほとんど中国語が出来ない振りをしていまいた。
応援が駆けつけ、公安に電話をし現場検証が始まりました。
公安も日本の警察と同じでメジャーで色んな所を測ったりとけっこう真面目に仕事してましたよ。

夜の10時前だったので外は零下20度近くです。私もM山老師も応援隊も震えながら見ていました。
検証が終わると公安にまで一緒に来いとのこと。
中国で初めてになる公安での事情聴取を受ける事になりました。

近くの公安署(交通大隊)に向かい約2時間ばかり、相手の方も含め喧々諤々の応酬をやってきました。
私は中国語が出来ない振りを続けていたのですが、絶対譲らない中国人同志が話し合うのですからまとまるわけがありません。
公安の人も最後のほうは相手のわめき続けるおばさんに苛立ち、かなり怒っていた感じです。
大体の流れは相手のおばさんがスピードを出しすぎていた(スリップ痕が5.8メートル=公安調べ)ためと、公安の心象が悪いのか我々側にはいい雰囲気で進んだ感じです。
ただ、公安の結論はお互いの事故責任は50:50と言う事になりました。
と言うことで、お互いの保険で処理してくださいというお達しです。

おばさんとの示談書に保険処理の事が記載されたのですが、最後におばさんがその1文に保険金で修理費がオーバーした分は相手払いと書いたものだから、またまた紛糾しだしました。
そんなことやで日本なら1時間ぐらいで済みそうな内容だったのですが、2時間あまりを公安の取調室で過ごしてしまいました。

私の車はバンパーの交換ぐらいで済みそうですが、相手の車はドアがかなりへこんでいるためおそらくドア交換になるでしょう。
おばさんは『廃車だ~!新車は全部お前が保障しろ!この車で通勤しているのでその間の代車もお前が用意しろ!』などと恐ろしく高い要求でしたが、結局はお互いがお互いの保険で処理する事に。これも最後は公安が『公安の決定に不服の時は法院に行って下さい。そうなるとあなたが困りますよ』ときつい言葉で黙らせていました。

こんな形で年の瀬を迎えるようになりましたが、大過なかったことでよしとするか。
中国公安での体験も、別の形で経験するのはいやですが、これならまだマシかと自分で慰めています。
厳寒の夜に駆けつけてくれたM山老師にも感謝いたします。
初めての事故で、初めての公安経験でしたが、以外にも緊張してなかったのが不思議です。
みんなも事故には気をつけましょう、と言っても中国では限界がありますが・・・・・。

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2006年12月19日 (火)

北海道出張だ~

ハルピンも随分寒くなってきた。
そんな中で、寒いハルピンから寒い北海道へ出張へ行ってきた。

ハルピンから新潟空港へ、そこで乗り換えて新千歳空港へ、朝8時に家を出て札幌に着いたのは夕方の5時半ぐらいでした。
新千歳空港には道庁のKさんが迎えに来てくれていました。
長旅の疲れを取りましょうと、札幌の近くの『ていねの湯』という所に連れて行ってもらいました。そこでは食事やレクレーション施設が充実して、とても賑わっていました。Photo_24
雪の札幌で温泉につかり、露天風呂でリフレッシュ。なんと極楽の時間でしょう。

翌日は北海道庁さんと札幌市の共同開催によ