2007年12月 8日 (土)

ハルピンでミュージカル

中国、しかもハルピンでミュージカル。(ミュージカル、中国語で『音楽劇』と表現します。)

実はこのミュージカルはハルピンのライバル百貨店の企画で実現しました。
ミュージカルのタイトルは『蝶 Butterflies』です。
プロドデューサーは李盾、創作指導にはGILLES MAHEU氏、WAYNE FOWKES氏が名前を連ねています。

その『Butterflies』のミュージカルのチケットが手に入ったので、敵情視察とばかりに行ってきました。
場所はハルピンの開発区にある国際会展中心です。
ここは以前遠大が新年会に使ったことがあるホールがあります。
設備とか見た目は一般的なホールでしょうか。

このミュージカルは3年の月日と6千万元(約9億円)をかけて製作されたそうです。
すごいです。

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簡単なストーリーは、以下のような感じです
あるところに綺麗な『蝶人』の娘がいました。
彼女の名前は『祝英台』。蝶人の首領の娘です。
その英台は嫁ぐことが決まっていました。
結婚式を迎えたその夜、彼女は憂鬱でした。彼女はまだ恋をしたことがなく、本当の愛と言うものを知りませんでした。そのため、この結婚が自分にとって幸せなのかどうか分からなかったのです。
そこに吟遊詩人の『梁山泊』という蝶人が訪れました。
結婚式に参加するためでした。
しかし、英台を見た梁山泊は彼女に恋をし、彼女を結婚式場からさらってしまいました。
参加者たちや家来の蝶人は激怒しました。
梁山泊と英台は恋に落ち、逃亡を開始します。
その逃亡の中で、この結婚式が私欲の中でされようとしたものだと知ります。
梁山泊を毒殺しようとしたりしますが、最後に首領の陰謀が皆の知るところとなり、審判で決着がつけられるのです。
本当の愛を知った英台と梁山泊は結ばれることになります。

まあ、ミュージカルを中国語で鑑賞しているので、ストーリーの細かいことは分かりません。ストーリも大体はこんなもんだと理解していますが、もしかしたら間違っているかも知れません。
ただ、舞台の両脇に電光掲示板で台詞が出るので、なんとなくは理解できます。
しかし、台詞に気をとられると舞台を見るのが疎かになるので、そこはまあ適当に分かった振りをして見ていました。

異国の地でのこれもひとつの体験だと、見てきました。
チケットは120元から1280元までありました。
私は880元(約13,000円)のチケットで鑑賞しました。
前過ぎず後ろ過ぎずのいい場所だったかなと思います。

ステージの大道具、役者の衣装も凝っていたし、音楽はフルオーケストラによるものです。
ステージの前の半地下で生演奏です。
結構迫力がありました。

あと、劇が終わるクライマックスにステージ下から大量の蝶を放出したのにはびっくりしました。
数百匹の生きた蝶がステージ下から放たれ、劇場内を乱舞したさまは圧巻でした。

本場でミュージカルを見た訳ではないので、比較は出来ませんが、歌も踊りもすばらしかったです。
これで私も文化人だと自己満足できました。

最後にまたまた苦言を。
こんなすばらしいミュージカルを舞台で見せているのですが、相変わらず観客がついていっていない!
劇場内での携帯電話はマナーモードにするのは最低限で、会話をするなんてもっての外。
携帯の呼び出し音と、会話をする人がけっこういるのが興ざめ。
高尚な芸術鑑賞は、まず基本的なマナーを!

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2007年10月16日 (火)

北京 胡同

久々の北京。

前回北京に出張してから暫くぶり。
今回はお気楽北京になりました。

この時期ハルピンでは結構冷え込んでいるので、北京も寒いかなと思っていましたが、思いのほか暖かかったですね。

北京に来て思うことなのですが、何度来ても青空に会うことはありません。
天候のせいではなく恐らく大気汚染の影響かと思います。

飛行機で北京首都空港に降りるときに見る北京の上空は灰色の靄のようなものに覆われて、スモッグに覆われたドームの中に街があるようです。
控えめに見てもこの大気汚染度は深刻と感じます。
北京で生活はしたくないですね。

今回と以前とで変わったことの一つが、タクシー内での禁煙措置でしょうか。
日本でも最近は前面禁煙タクシーが増えてきているそうですね。
北京のタクシーも市内は前面禁煙になったようです。
愛煙家の私は、空港からのタクシーでちょっと試してみました。
私『タバコすってもいいですか?』
運転手『没関係(大丈夫ですよ)、四環以内的不行、高速公路上可以吸煙的(第四環状線の内側はだめだけど、高速道路上なら吸ってもいいよ)』
・・・・との返事でした。(フフフ・・にんまりです)

こういういい加減さは、私にとって都合のいいところのみ大好きです。
まあ、いい加減すぎて気分悪くなることもままあるのですが・・・・。

北京もオリンピックを控えてあの手この手でマナー向上キャンペーンを行っているようです。
タクシー禁煙もその1つでしょうか。
市内での痰を吐く行為も罰金などの措置が取られています。
頑張れ北京。

仕事関連はそこそこに済ませ、自分の時間を利用して北京めぐりをしてみました。
故宮からほど近い『胡同』に行ってみました。
3年前にも訪れたことがありますが、懐かしくなって歩いてみました。
そこで、日本語ぺらぺらのフィンランド人と知り合いました。
彼の奥さんは日本人だそうです。
仕事で北京に来ているそうなのですが、なぜか彼は胡同の民宿に泊まっているとのことです。
その民宿に連れて行って貰いました。
胡同の伝統的な造りの『四合院』です。
そこの三部屋がお客さん用として使用できるようになっていました。
民宿の親父さんと奥さんも居間でくつろいでいました。
お茶などもご馳走になり、今度機会があれば泊まってくださいと、名刺ももらいました。

皆さんにそっとお知らせします。
www://hutongvisiting.com
『金糸居』四合院民宿

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ここの『胡同』と言うのは、もともとモンゴル系の人たちが多く住んでいた場所で、満族の言葉で『モンゴル人』と言う意味だと教えてくれました。
なので、ご主人は教えてくれました。
今は、『胡同』と言うのは古い北京の路地裏のような町のことを意味するようになっているようです。

胡同も観光地化されていて、一角ではカフェや土産物屋などがたくさんあり、それなりに楽しめますが、『いかにも』と言った感じのところになりつつあるような気がして、ちょっと寂しいですね。

でも、さっきの民宿は風情があって古き北京に浸るには打ってつけかと思います。お勧めです。

高層ビルと胡同の対比を味わってみてください。

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2007年9月 3日 (月)

日本語を忘れる?

最近よく日本語を度忘れしてしまうことがある

中国語圏で暮らしているためか、中国語では出てくるのでるが日本語でどう表現したらいいのかとっさに出てこないのである。
自分としては、単に中国語圏で暮らしている副作用ではないかと簡単に考えていた。

会社内で日本語を教えているのだが、表現だけではなく漢字も忘れてしまって、黒板に書けないこともある。

自慢する訳ではないが、私は本が好きで自称活字中毒である。たぶん普通の人以上の読書量を持っているのではないかと思う。
そのため、国語には妙な自信を持っているのである。
学生時代も国語、古文は得意科目であった。

考えるに、パソコンに頼るあまりあまり字を書かなくなったため、漢字が書けなくなってきたのではないかとも考える。

そんな時にあるニュースを見かけた。
『日本で日本語が通じない』と言うものである。

ある大学で性格検査を行ったのであるが、その設問の意味が分からない学生が増えてきているそうだ。
「『怠惰』って何ですか?」とか「『まごまごする』ってどんな状態ですか?』」と言うような質問が出るそうである。

また、就職を控えた女子学生が、『骨の折れる仕事』という表現に対し、『そんな骨折するような危険な仕事は出来ません』と答えるような場面もあるそうである。
笑い話ではありません。
本気でそんな学生が増えてきているそうである。
大学の英語の授業においても日本語訳が出来ない、もしくは辞書を引いてもその辞書の日本語が理解できない学生がいるらしいのである。
英語も分からん、日本語でも分からん・・・・。
一体お前は何人や!と言う感じである。
『Often』の日本語訳である『しばしば』や『頻繁に』の意味が分からんそうである。

さらに、学生のみならず若い社会人に中にも日本語がまともに使えない者が増殖中でもあるそうだ。
敬語がまともに使えないなどは勿論、奇妙な言い回しの日本語を多用するなどをして、社内や関係先に顰蹙を買っているのである。
仕事がらみなので、取引先を怒らせたり取引がパアになったりする状況もありえるのである。

帰国した際も、
『これでよろしかったでしょうか』
『食べれません』
というような日本語を使う人に出くわすとちょっとムカつきます。

日本語はとても豊かな言語で、中国で暮らしていても中国語で説明できないような日本語が多いことに気がつきます。
(まあ、単に私の中国語の語彙が不足しているという説もありますが。)

泣いたり笑ったりする状態でも、『すすり泣く』『むせび泣く』『忍び泣く』『うれし泣き』『うそ泣き』や『せせら笑い』『うすら笑い』『含み笑い』『馬鹿笑い』『照れ笑い』『あざ笑い』など、種種多様な表現がある。
残念ながら私では中国語で説明できかねる表現が多く、意味は分かるけど中文訳は困難です。

日本語がまともに使えない日本人になりつつあるこの頃ですが、日本人のIdentityだけは無くしたくないと痛感しております。

日本の若者たちには、読書をお勧めします。

質の高い日本語を堪能してみて下さい。
私のブログでは決してありえませんが・・・。

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2007年4月24日 (火)

ハルピン日本人会

ハルピンもだんだんと春真っ盛りの状態です。

ハルピンにも少ない日本人がささやかながらコミュニティーを作っています。
ハルピンの大学にお勤めの日本語教師の方を中心に作られたコミュニティーですが、ハルピンに留学中の方、私のようにハルピンで働いている者、その他で集まっています。
ハルピンに在住の日本人すべてが参加している訳ではないのですが、大体30人ぐらいが集まっているようです。

今月この集まりがあり、わたしもお誘いを受け行ってきました。
前回参加した時は、冬のさなかで結構寒かったのですが、今回は気持ちいいぐらいの気候です。
その時のメンバーからこの春に帰国し抜けた方もいらっしゃいます。
また、今回新たに参加された方もいらっしゃいます。
主には留学生のメンバーが新たに参加されました。ハルピンは気候的には寒く、北京や上海などと比較してもマイナーですが、中国語を習うには非常にいい環境のようです。
大きな理由としては、ハルピンの中国語(普通話)が非常にきれいで標準に近いということです。
聞くところによると、中国国営放送の中央電視台(中央テレビ局)のアナウンサーなどの多くがハルピン出身だそうです。
北京で話す北京語は舌巻き発音が強く、我々外国人には聞き取りにくいところがあります。
日本で例えれば、標準語と東京弁のようなものでしょうか。
北京で喋っているからと言って、標準発音ではないということです。

また、ハルピンは地方都市ではありますが、そんなに遅れた田舎ではありません。
そこそこの都会です。日本人が暮らすにしてもそんなに大きなカルチャーショックはないと思われます。
あと、留学生活の費用が安く済むということもあげられます。
住居も一部屋月額500元~700元(7500円~10,000円ぐらい)で住む事も出来ます。
留学生の寮も完備しているところが多く、環境的にも悪くありません。
もちろん、日本同等の生活と言う訳にはいきませんが、みなさん概ね満足されているようです。
食事も安くすみます。
学生食堂などでは、10元(150円)までで充分です。3元~5元で普通に食べられるものもたくさんあります。
街中の食堂でも20元も出せば結構食べられます。
贅沢したければ、ハルピンにも高級レストランが山ほどあるので、たまにそこへ出かけてみるのもいいでしょう。
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適度に田舎で適度に都会物価も高くなく、発音もきれいなハルピンです。
大都会のように遊びの誘惑も少ないので、勉学にいそしむには非常にいい環境ではないでしょうか。
ハルピンの方々の性格も素直で温厚な方が多い感じです。
まあ、ハルピン女性は個性的な、どちらかと言うと強いと感じるような性格です。
しかし、ハルピンは全国的にも有名な美人の産地とされています。
それを楽しみに来られるのもいいかもしれませんが・・・・。

そんなハルピンにもっと日本人が来られてもいいと思うのです。
この日本人会でも、たまに集まるのが楽しみで、いろんな年齢層の集まりですが、情報交換などが出来て面白いです。

R工大学のTさんに誘われて、日曜日にはソフトボールにも行ってきました。
昨年にも参加させていただきましたが、たまにスポーツで汗をかくのもいいものです。
ただし、翌日には筋肉痛であちらこちら痛かったのですが・・・。
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2007年4月22日 (日)

タイムカプセル

暫くぶりに日本に帰っていたのですが、田舎にも帰りました。

その間日本は春満開で、まだ寒いハルピンとはまた別の趣です。
ハルピンは、極端に言えば半年は冬のような感じです。
日本は四季の区別がはっきりしていて、いろんな所で季節を感じる事が出来ます。
日本中で春になれば、「さくら」と言うキーワードで賑わいます。
八百屋やスーパーには春の食材が並びます。
食べ物の中にも春という季節感を意識したものがたくさん出てきます。

四季を大事にする日本人の意識と言うものを日本に帰って新たに感じる事が出来ます。
日本人は意識するとしないとにかかわらず、『時間と言う概念』を常に持っている民族のような気がします。
時間を大切にする意識が強い民族ではないでしょうか。

あるワールドジョークで、会議に遅れない日本人のことを皮肉ったものがありましたが、とにかく世界でも時間に正確なのは有名です。
確かに日本以外のアジア圏では時間にルーズと言うかおおらかと言うか、時間を守るという観念には差があります。
ここハルピンでも、約束の時間に来ない理由で一番よく耳にするのが、「塞車!(車が混んでた)」です。
なぜかこの一言で回りはみんな納得したように突っ込まないのは不思議です。
1時間あまり遅れて、「車が混んでた」の言い訳は、私だけ胸の中で、『それを見越して出ろよな』なんて突っ込んでいます。

時間とか季節感とかに敏感な日本人ですが、アジアで暮らすのが長くなるとそんな感覚がだんだんと薄れてきたようにも思います。
な訳で、たまに日本に帰るとそんな感覚がとても新鮮に感じたりします。
時間をを大切にするという日本人の感覚は忘れてはいけないと思ってしまいます。

田舎に帰ってゆっくりしている時に、懐かしい家の中を整理しました。
高校卒業までこの実家で育ちましたが、それから随分と月日が流れています。
中学校時代には郵便切手を集めたりしていました。
その収集切手集を久しぶりに見つけました。
趣味週間切手や東海道五十三次シリーズ、国宝シリーズなんかの切手をコツコツと少ない小遣いで買い集めていました。
また、記念コインや古い紙幣も集めていましたが、そのコレクションも発見。
昭和初期の大きな穴なしの50円硬貨や、5円玉もあります。
中学高校時代に集めたものなので、たいしたものではありません。でも、今の自分にとっても大切な宝物です。

小学校時代の卒業文集や当時の学校新聞まで出てきました。
犯罪者になれば、この文集が週刊誌なんかにでるんやろうななどと、冗談を言いながら見直していました。

まるで、タイムマシンに乗って昔に返ったようでした。
実家は私のタイムカプセルでした。

現在過去未来、いろんな時間の流れがあります。
ハルピンでもそうですが、今の中国は非常な速さで発展しています。
かつて日本が高度成長時代でいっぱい失ったものがありますが、中国でも似たような状況のような気がします。
時と言うものを大切に、古きよきものを失わない気持ちを持っていきたいと感じています。

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2007年4月20日 (金)

親父の1周忌

昨年に親父を亡くしてから1年が経った。

1周忌(親父はクリスチャンだったため、1周年祭か)のために帰国していました。
教会での1周年祭は、仏教式に比べると極めて質素で簡単なものであるように思いました。

私自身はクリスチャンではなく、かといって仏教徒でもなく、無信仰の典型のような日本人です。
正月には神社へ初詣、京都の浄土宗の寺で手を合わせ、福井の永平寺で禅を組んだこともあり、学生時代はミッション系の大学だったため朝のチャペルに参加し聖歌を歌ったりしていました。
台湾では台北の行安宮などといったお宮へ参拝、成都では道教のお廟へ参拝、タイではアユタヤの寺院へ参拝、ソウルでは曹渓寺へ拝観に行き、ハルピンでは極楽寺へ初詣に行きました・・・・。
旅行守りには真言宗のお寺で買ったものを持っていますし、車の交通安全守りは生田神社のものを使っています。

信仰に対しては深く考えたこともなく、友人知人で○○経を信仰しているとか、××経に入信しているとかはありましたが、1歩下がって見ていました。
信仰や宗教への個人的な感想は、自分の生き方や道徳観に対しどう向かい合うべきかを宗教を通じて感じ取っていくもの、もしくは現世や来世への期待感や方向性を宗教によって救済してもらうようなものなんだろうと考えていました。
だから、宗教によっては奇跡や超常現象などが強調されるものには引いてしまいます。
来世があるかないかなどは、証明できるわけはないので、信じるか信じないかは個人の差だと思っています。
信じると言うことは自分と向き合うことで、他人に強制するようなものではないと考えています。

宗教が元で戦争や争い殺人、またイスラム経のようにジハードなどが起きる事自体が想像の域を超えています。
宗教を信じること自体は何の反対も反感もありませんが、宗教を守るために戦いや争いが起きるのは本末転倒ではないかと思ってしまいます。
自分が信じていれば、非難されようが否定されようが良いじゃないですか、信じるものこそ救われる、信じない者や他宗教の者なんか気にしないでいいじゃないんですか?

信仰の深い方がこの文章を見ると、それは違う間違った考え方だとか、これだから無知なんだとか思われるでしょうか。

今回親父の1周年祭は、教会で執り行われました。
神の下へと召された親父は、天国で今幸せに過ごしているのでしょうか。
現世を生きる私は、今だに色んな雑事の中で右往左往しているだけです。

仏教式の四十九日やら1周忌など、また宗派による細かな約束事などのない簡素なキリスト教での1周年祭は私にとっては新鮮でした。
私たち遺族が集まり故人を偲んで祈りを捧げるのに、形式はあまり関係ないような気もしていたので、今回の式典は物足りないと思う反面、素直に受け入れられたような気がします。

親父の墓を建立しなくてはと、昨年墓地を購入しました。
墓石を建てるにあたり、デザインなども石材屋さんと相談しました。
仏式の縦長の伝統的な墓ではなく、横長でモダンな洋風のデザインにしようと相談しています。お墓の様式は宗教などに拘らないシンプルな感じにしたいと思っています。
ただし、故人の想い出を残すために、墓石に花を彫りいれたり、記念のモニュメントを設置してもいいかなと計画しています。
表現は悪いかもしれませんが、このお墓建立を楽しんでやってみようと思っています。
親父が喜んでくれるようなものにしたいと願います。

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2007年4月16日 (月)

新潟空港

ハルピンと日本を結ぶ直行便は二つあります。

一つはハルピン-新潟空港間、もう一つはハルピン-関西空港間です。
新潟便は週に4便あり比較的便利なのですが、関空便は週2回なので時間が合うかどうかは微妙です。

今回の帰国は往復とも新潟便を利用しました。
私は神戸が家なので、新潟からは乗換えで大阪の伊丹空港まで行く必要があります。
これも伊丹便はそこそこあるのでまだ便利なほうでしょうが、乗換えの待ち時間などがあり、関空便に比べるとめんどくさい感じです。

新潟空港は小振りな空港ですが、きれいな空港です。
ただ難点を挙げるとすれば、
1、国際便の中のデュティーフリーショップがしょぼい。
2、入国時の税関検査がやや厳しい。(でもこれは当たり前か)
3、銀行の通常業務がなく、両替業務だけである。
4、ここも他の空港と同じように、だんだん喫煙スペースが制限されてきた。
5、出国時の税関がかなり厳しい。(う~む、これも当たり前か)
などであろうか。
これは、あくまで私個人の感想である。
反対にいい点は、
1、3階の蕎麦屋がおいしい。
2、2階のお土産やが結構地元のいいものが揃っている。今回は限定でしたが、越の寒梅を売っていた。ここでは私もよく新潟土産を買います。

ハルピンに帰るために新潟空港に着いて、国内線ゲートを出るとなにやらロビーのほうが賑わっていました。
新潟空港の1階中央は広くロビーになっているのですが、そこで何かイベントをやっていました。
たくさんの人でいっぱいです。
見ると、そこで芸妓さんの踊りを披露しているではありませんか。
ブロガーの端くれである私も、この機会にと前のほうに行って見学させてもらうことにしました。
どうやら、新潟古町の芸妓さんのイベントのようです。
詳しくは分かりませんが、新潟のキャンペーンか何かの一環だったのでしょう。

踊りが終わってから記念撮影をさせて貰える様だったので、取らせてもらうようお願いしました。何枚か写真を撮っていたら、一緒に撮りませんかと言われました。
『ここで断る手は無い、遠慮なんかしていたら一生後悔する』と、お言葉に甘えさせてい抱きました。
同じように回りの方々も記念写真を撮っていました。

若干困ったチャンは、空港内には私と同じようにハルピンへ向かう中国の方がいたのですが、並ぶこともせず遠慮なく割り込んで写真を撮ろうとしていたことです。
言葉が分からないのもあるでしょうが、われもわれもと順番を無視していたのはImge19d8986zik3zjまったく困ったチャンでした。

何はともあれ、なんとなく得をした気分でハルピンに帰ることが出来ました。
あと、芸妓さんの千社札もお土産にもらいました。
『古町 桃子』、『古町 琴絵』、『古町 あやめ』、『古町 梅香』、『古町 八重』と書いています。

新潟空港も結構やるじゃない!

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2007年4月 1日 (日)

送別の三月

3月から4月にかけては、日本では年度替わりです。

ハルピンでもこの数年に幾人かの人たちを見送ってきた。
今年の3月は、ハルピンで大変親しくさせていただいた方をお見送りすることになった。

中国は日本と違い3月で年度が終わる事は無く、学校なども4月から始まる事はない。アメリカなどと同じように、学校は9月始まりです。
この3月で年度が終わり4月から年度が始まる日本の習慣はある意味合理的であるような気もします。
4月にはサクラが入学式を彩り(今年は暖冬でちょっとずれましたが)、春が1年の始まりと言うのと非常にマッチしている。企業も12月で年度を終わりとすると、忙しい年末に財務の締めを行なうことになり、殺人的に忙しくなるでしょう。

ハルピンの3月は日本風の感覚から言えば真冬のような気温ですが、それでもかすかに春の到来を予感させるものがあり、何となくホッとします。

この度ハルピンの生活を終え日本に帰ることになった方は、日本語教師で尽力してきた「老師」さん、黒龍江省への派遣公務員として来ていた「ハンゾー」さん、民間ですがハルピンの大学で日本語教師をしてこられた「マリアンヌ」さんや「エヌ島」さん、また留学生として兼遠大のフラワーショップの顧問の「エフティエン」小姐、新潟のIT企業から派遣されていた「Mイエ」さんなどなど。

ハルピンに在住する数少ない日本人と親しく交流していた中国の方たちと送別会なるものも開いたりしました。
送別会ではちょっと張り切ってハルピンでも高級なお店で行ないました。
最近ハルピンでも流行の「川菜=四川料理」などのお店です。 Photo_45

3月は卒業式や人事異動が多く、何となく別れの季節やけじめのようなイメージです。
4月は逆に入学式、入社式があるので、出会いやスタートの季節のようなイメージです。

今回はお見送りばかりをして、寂しい思いをしました。
日本に帰られた方々はまた日本で新しい生活を始められる方、以前の生活に戻られる方などですが、ハルピンでの生活が楽しかったと思っていただければと思います。
色んな想い出がハルピンにあった事と思います。
海外での生活は全ていい想い出だったとは言えない事もあったでしょう。
それでもいい経験になったと、帰国してから思えるようになるのではないでしょうか。
これからの皆様のご活躍と、ご健康をお祈りします。

今日、上海からハルピンに帰って来ましたが、暖かかった上海と違い、ハルピンは大雪。飛行機のダイヤも大乱れでした。

本格的な春はもう少し先のようです。Photo_44

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2007年2月 3日 (土)

ハルピン道外、古玩街

ハルピンの骨董街のことを以前にブログで書いたことがあります。

またまた最近その骨董品外に出かけてきた。
特に目的は無かったのですが、何かいいものがあればいいかな程度で出かけました。
ハルピン在住のM山老師、ハンゾー氏とつるんで行ってきました。
ハルピンの道外区と言う所は、ハルピンでは古くに発展した所です。かつてはハルピンの繁華街として栄えていました。
もちろん今でもたくさんの人が住み、大小様々な店が集まっている所もあり、繁華街を形成している所もある。
ただし、新しい街作りという観点からは少し取り残された感じがあり、いわゆる下町風情の残る町並みである。Dsc00342

そんな訳であたりには古い建物がまだ多く残っているため、非常に興味深いスポットである。
日本人が住んでいたというアパートの跡や、歴史を感じさせる建物が点在し、カメラに収めるのもいい感じである。

目的の骨董街はそんな中にあり、小さな店舗が1階から3階までたくさん入っている。
今日は零下10度以上はあるためか、外の露天売りは少なく、屋内の3階の空きスペースに十数軒が店を広げていました。感じは日本で見かけるフリーマーケットのように、敷物を広げた上に様々な骨董品らしきものを展示しています。

冷やかし半分で見ていましたが、その中で気を引いたのは古いポスターです。
以前にも上海で買った事がありますが、恐らく1920~30年頃の上海などを中心にした租界時代に作成されたものと思われます。
日本で言えば昭和初期のポスターでしょうか。1dsc06242

何軒かでポスターを扱っていましたが、なるべく質がいいものを探してその中で気に入ったものを交渉しました。
その店の主人はお決まりのように、これは貴重なものなので一切負けられない、などと粘っていました。こっちも負けずに希望値段を言い続けました。
徐々に下がり始め、最後は私の粘り勝ち。こっちの言い値で落札しました。
中国で買物するのは、こんな値段交渉が当たり前なので、これを面白いと感じるか、面倒くさいと感じるかは個人の意見が分かれる所でしょうか。

ハンゾー氏は、古い自転車の前照灯のようなものをゲットしていました。
以前に買った中国郵局専用自転車に合わせるつもりなのでしょう。
(中国の郵便屋さんの緑色の自転車です)

骨董街の近くで麻辛面などを食べ、近くの古い町並みや建築を見て周り、写真撮影などを楽しみました。1dsc00335

この骨董街には固定的に店を構えている人と、外地から行商のように売りに来ている人たちで構成されているようです。
行商の方と話してみると、黒龍江省の中のチチハルから来た人、内モンゴルから来た人がいました。
また、麻辛面を食べていた店では、その店の奥にある旅館に逗留して商売を行なっている方にも声を掛けられました。
彼らは遥か西安から来たみたいで、主に陶器類や玉器などを扱っていました。
あいにくその分野は興味が無かったので、我々も少し拝見しただけで、失礼しました。
今度来る時は、チベットや敦煌あたりの絵画などがあれば紹介してくれるそうです。

それが、本物で本当なら楽しみですが・・・。

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2007年1月22日 (月)

銀行カード紛失の難儀

中国で困る事は、色々あると思われます。
その中で、我々外国人が直面する事の中で身分証明のことがあります。

中国や台湾、香港などでは日本と違い皆さんIDカード(身分証)を持っています。日本ではこのようなIDカードは無く、免許証などが身分証の代わりになります。免許証がないと、それに代わるものを用意する必要がありますね。
住民基本台帳によるもの(住基カード)、パスポートなどで、写真入のもので代用するのが一般的でしょうか。

海外ではもちろんパスポートです。

中国では建前常備携帯が義務つけられています。
私もなるべくは携帯するようにはしていますが、このパスポートは海外では非常に重要で、盗まれたり紛失するとけっこう面倒なので正直携帯したくはありません。

最近私は10年有効の期限が切れるため当たらしいパスポートに更新しました。
その新しくしたパスポートのためにけっこう面倒くさいことに直面したのです。

ドンくさいことに銀行系カード(キャッシュカード)を不注意から紛失しました。こちらの銀行カードは6桁パスワードのため日本よりセキュリティは高いほうなので、無くしたことにさしてあわてず銀行に届けをしました。しかしながら、使われないようにするためと再発行のため銀行に行って本人が手続きをしなければなりません。
そこで銀行に行き手続きを行なおうとしたのですが、ここで問題になったのが新しいパスポートです。
以前カードを作った時のパスポートと新しいパスポートのパスポート番号が異なるため、銀行側がこれでは手続きが出来ないとの返事。
そんな馬鹿な!本人確認はこれで出来るじゃないですか!

中国では写真より身分証番号が重視されるようです。
そう言えばこっちの中国人の身分証を見ても、中学校ぐらいに撮った写真で身分証を作り何年も使っています。身分証番号は一生変わらないそうです。
中国では結婚しても性が変わらないため身分証自体も変わりません。
身分証番号・パスポート番号は非常に重要です。
各種カードを作る際には必ず身分証番号が必要です。

窓口で若干もめましたが、古いパスポートを持ってくる事でどうかと提案。そうして下さいとの事だったので、出直しました。
しかし今度の銀行係りは、2_2 古いパスポートに『VOID(破棄)』となっているのを見て「これは無効パスポートなので本人確認が出来ません」とキッパリ。
『じゃあ、一体どうすればいいのだ!』

一緒に行ってもらった会社の中国人スタッフの助けを借りて、窓口係りや銀行のおえらいさんも含めてすったもんだしました。
銀行でも始めての外国人のこういったケースだったらしく、銀行の経理も本行の電話をかけたりして協議していました。

結局は公安の証明を貰って下さいとのことで、すごすごと退散しました。
会社から公安の知り合いに伝えてもらうと至極簡単に証明書が貰えました。この辺は個人ではちょっとシンドイかもしれませんね。

そんな訳で、銀行のほうはその後、紛失カード凍結(取り消しではなかった?)手続きと、新しいカードの発行が出来ました。 1_61

そんな経験をした後、パスポート紛失した方のお話を知ることがありました。
その方は、中国滞在中に結婚したため姓が変わりましたが、パスポートの切り替えをしていなかったのです。
そのパスポートを紛失したため再発行しなければいけないのですが、再発行は当然日本政府発行のため戸籍に基づき新しい姓になります。
その方も銀行カードも一緒に紛失したため、私と同じくえらい面倒な事になったそうです。
その方はパスポートが無いため、カード凍結も再発行も出来なくなってしまったのです。まして、姓が変わったパスポートでは新規再発行も至難の業になってしまったそうです。
そりゃそうです、中国では名前もパスポート番号も違えば本人とは認定しがたいですよね。
ビザの再発行にも相当な面倒な手続きがかかったそうです。

中国滞在の方で、結婚などで姓の変わる方や新規パスポートに切り替えて古いパスポートで銀行などのカード類を発行した人、お気をつけ下さい。
パスポート・カード類を紛失などしなければ直面しない事態ですが・・・。

この注意事項は中国滞在のドンくさい方への忠告です。

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2007年1月16日 (火)

周年慶と富士山の話

2007年が始まって初のブログ書き込み。

年末に一時帰国し、ハルピンに帰ってきてからは我が百貨店の「八周年慶」の開催のため忙殺されていました。

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14日に無事その周年慶も終了しました。

昨年の周年慶実績の対比で175%の伸び率です。

営業時間も昨年から延長して行ないました。

通常で朝9時~夜10時、最終の2日間は夜12時まで延長して頑張りました。

周年慶期間中は休み無しの勤務で、勤務も夜12時までだったりと、へとへとに疲れました。

でも、売上がいいと不思議なもんで、疲れも相殺されてしまいます。

「周年慶」は中華社会では、1年でいちばんインパクトのある催事でしょう。

そのため、各社ともいろんな割引優待制度を考えて実施します。

我が店も「満300送200」などの表現で、300元買う毎に200元のポイントカードを差し上げると言う物です。

お店と顧客とライバル店、サプライヤーなどが水面下で虚々実々の駆け引きがあったりします。

毎日幹部で早朝に会議を開いていましたが、そこで予測できなかったことや考えが浅かったことなどの微調整に苦労したりします。

しかしながら、「失敗は成功の基」。反省点を次回につなげてより素晴らしい百貨店に繋げていくことが我々の使命だと思っています。

1年で最大の催事が終わり、今は若干ほっとしているひと時です。

そんな中で、昨日スタッフと雑談していた中で、初めて知ったことがあります。

皆さん「富士山」はもちろん知っていますよね。

スタッフが日本に言って富士山に登りたいと言っていたなかで、富士山はどこにあるのかと質問を受けました。

私は「東京の隣で静岡県ですよ」と答えました。

すると、スタッフの中の物知りが山梨県との間だということを知っていました。

私「そうです。富士山は静岡県と山梨県の間になります。」

スタッフ「富士山は一体山梨県ですか?静岡県ですか?」

私「多分両方の県?それとも国有?」

自信が無かったのでネットで調べてみて発見しました。

富士山は山梨と静岡に跨ってあるものの、両県の登記争いが決着していないため今も県境が引かれていないそうです。

それと、富士山の八合目九勺から上はなんと私有地だそうです。

国有地ではなく「浅間(せんげん)神社」の私有地とされているそうです。

知っていましたか?びっくりデス。

ところでここから私の疑問です。

県境が設定されていないのなら、浅間神社はどっちの県の所属?

行政区が分からないのなら、税金や管理、各種申請はどこがやるの?
浅間神社の神主の住民登録はどっちの県?

もし殺人事件が起きたらどっちの県警が出動するの?

などなど、下世話な心配をしてしまうのが私の癖です。

静岡、山梨にお住まいの方ならご存知でしょうか?

新年にふさわしい話題の「富士」でした。

初夢に一富士、二鷹、三ナスビ、などと言います。

どの夢も見たことはないので、毎年平凡な1年を過ごしているようです。

今年も神戸の生田神社に初詣に行きました。Photo_32

ことしこの生田神社で藤原紀香とお笑いの陣内智則が結婚するとのことで、いつもより人の出が多いように感じました。

今年1年が皆様にとって素晴らしい年でありますように。

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2006年12月24日 (日)

ハルピンでのお見合い

この原稿を今飛行機の中から書いています。

年末に休暇帰国のため、哈尓濱から大阪への飛行機に乗っています。
哈尓濱に関わらず中国は農暦での習慣が多いため、年末の雰囲気は全くありません。
この機内もガラガラで、30名ばかししか乗っていません。Photo_30

そんな中で、日本の方Fさん(男性)と知り合いました。
50代後半ぐらいの方でしょうか。
中国語が出来ないようで、また海外旅行に慣れていないようで、税関のところで戸惑っていたので通訳代わりにお助けしました。

機内でお話をお聞きしたところ、哈尓濱でお見合いのために来たということです。
以前にも同じような日本の方にお会いしたことがありますが、今回少し違うのは個人で来ているということでした。
日本から中国のお嫁さんを探すにはやはり一般的には、結婚斡旋所を通じて高いお金を払ってお見合い・結婚へと進めるようです。
哈尓濱のことや諸事情が分からないので当然と言えば当然でしょうか。

そんなわけで、その方も結婚紹介所のようなもので来ているのかと思っていましたが、違うようです。
知り合いの紹介で哈尓濱でお見合いをやってくれると聞き、単身で哈尓濱に来て、哈尓濱の知り合いに連れられお見合いをしたそうです。
哈尓濱の仲介の方は日本語の出来る中国人で、その人が集めた結婚志望者数名とホテルで会い、その中の気に入った女性と単独でお話をするというものだそうです。
Fさんは、その中でも若くて気遣いが出来ていた女性が気に入り、来月には式をあげるつもりだとのことでした。
そのガイドの中国人には日本円で5万円を支払ったようです。
最初、その中国人のかたのことをガイドと呼んでいたので、単なる通訳で、紹介者は別にいるのかと勘違いしていたので、中3日ほどの滞在で5万円は高いですねとお答えしました。
しかしよく聞くとその中国の方が紹介者のようです。
それなら、5万円なら非常に良心的(?)なのではないでしょうか。

よく聞く紹介所では、紹介から結婚で150万~200万、相手方への結納金やら結婚にかかる費用負担、嫁さんの渡航費など、もろもろで300万~500万と、日本で結婚式を挙げるのとさして変わらない費用が必要です。

この個人での斡旋はそれと比べるとべらぼうに安い気がします。
もちろん個人紹介なので色んな面での保障やフォローはないかもしれません。
また、中国国内法では国際結婚の仲介は禁止されているため、もしかしたら違法なのかもしれません。それなので、知らぬが仏とは言え、けっこう危ない橋を渡らされているのかもしれません。

中国のことをあまり知らないようで、お話していても少し心配な点もありましたが、話の中でふと感じることがありました。
私が中国で経験したり感じたりしたことはあくまで私個人としてのもので、決して普遍的なものではありません。別の方は別の方でもっと違った経験・感想があるはずです。
だからFさんがあまりにも嬉しそうで、無防備だったのですが、苦言や忠言は言えませんでした。
新しい奥さんのビザ取得が苦労するかもしれませんとか、中国での中国式結婚式の心得などをお話したぐらいです。
私の中国観を押し付けるのはよくないのではないかと考えたのです。
まっさらな状態から新しい奥さんを迎え、色々苦労もあるかもしれませんが、偏見なしでスタートしてもらいたいなと思ってしまったのです。

来月(来年か)にはもう1度来中して結婚式を挙げるそうです。
今回1度帰国して準備を整えてまた来るつもりなのです。

年末のガラガラの飛行機の中で、幸せそうに語るFさんと話し込んでしまいました。
また、ハルピンでお会いできることがあるかもしれませんね。

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2006年12月20日 (水)

年の瀬、事故の顛末!

2006年も気がつけば残りわずかになってきました。
ネット上でも「今年の出来事」なんかの記事を見ると、ああもう年末なんだと実感させられたりします。

皆さんの今年1年は如何だったのでしょうか?
中華社会にいると、年末と言う感覚が薄くなってきます。
百貨店業にいたので、12月は年末商戦だとか歳暮ギフトの掻きいれ時だとか、クリスマスの準備などとかで、いやでも年末の雰囲気を味あわされました。

そんな年末の最中なのですが、事故ってしまいました。その日、ハルピンの日本人仲間から、知り合いのOさんがバーを開店する事になったのでみんなでお祝いしに行きませんかとお誘いがあった。
『引擎吧』と書いて『Engine bar』と言います。Enginebar
ハルピン在住の日本人仲間が集まって、開店のお祝いをしました。
私とM山老師、ハンゾー夫妻と出かけ、開店イベントを楽しんできました。

Engine barを後にして、私の車で帰途に着き、ハンゾー夫妻を送りM山老師の送り、そのホテルの出口を左折しようとした時です。
ご存知のように中国は右側走行なので、右から来る車に注意し、交差点の真ん中を過ぎたあたりで右を見ました。
その交差点は信号のない交差点です。
その時に前方からの車もあったのでやり過ごそうとその車を待ちました。
その時です、右から猛スピードで突っ込んでくる車が見えました。
私の車の手前5メートルぐらいで急ブレーキをかけて右に切れながら私の車の右前方にバコンと衝突しました。
かなりのスピードだったので、ぶつかりながら今度は左にスピンして今度は私の車の左前方バンパーに衝突しました。

わたしは運転席で他人事のようにその始終を眺めていました。
あたり具合がよかったのかほとんど衝撃も感じませんでしたが、見るところ相手の車の運転席ドアはけっこうへこんでいました。Photo_29

車を降りると相手の方もものすごい勢いで降りてきました。
運転手は中年の女性で、助手席には男性でした。
二人とも中国語でガンガンまくし立てます。
『お前が悪い、責任は100%お前にあるだろ!対不対!』
外人である私は分が悪いので、会社の担当者の応援を電話しました。
M山老師にも電話するとすぐに駆けつけてくれました。

中国語は分かるのですが、中国語でケンカは難しすぎると判断し、ほとんど中国語が出来ない振りをしていまいた。
応援が駆けつけ、公安に電話をし現場検証が始まりました。
公安も日本の警察と同じでメジャーで色んな所を測ったりとけっこう真面目に仕事してましたよ。

夜の10時前だったので外は零下20度近くです。私もM山老師も応援隊も震えながら見ていました。
検証が終わると公安にまで一緒に来いとのこと。
中国で初めてになる公安での事情聴取を受ける事になりました。

近くの公安署(交通大隊)に向かい約2時間ばかり、相手の方も含め喧々諤々の応酬をやってきました。
私は中国語が出来ない振りを続けていたのですが、絶対譲らない中国人同志が話し合うのですからまとまるわけがありません。
公安の人も最後のほうは相手のわめき続けるおばさんに苛立ち、かなり怒っていた感じです。
大体の流れは相手のおばさんがスピードを出しすぎていた(スリップ痕が5.8メートル=公安調べ)ためと、公安の心象が悪いのか我々側にはいい雰囲気で進んだ感じです。
ただ、公安の結論はお互いの事故責任は50:50と言う事になりました。
と言うことで、お互いの保険で処理してくださいというお達しです。

おばさんとの示談書に保険処理の事が記載されたのですが、最後におばさんがその1文に保険金で修理費がオーバーした分は相手払いと書いたものだから、またまた紛糾しだしました。
そんなことやで日本なら1時間ぐらいで済みそうな内容だったのですが、2時間あまりを公安の取調室で過ごしてしまいました。

私の車はバンパーの交換ぐらいで済みそうですが、相手の車はドアがかなりへこんでいるためおそらくドア交換になるでしょう。
おばさんは『廃車だ~!新車は全部お前が保障しろ!この車で通勤しているのでその間の代車もお前が用意しろ!』などと恐ろしく高い要求でしたが、結局はお互いがお互いの保険で処理する事に。これも最後は公安が『公安の決定に不服の時は法院に行って下さい。そうなるとあなたが困りますよ』ときつい言葉で黙らせていました。

こんな形で年の瀬を迎えるようになりましたが、大過なかったことでよしとするか。
中国公安での体験も、別の形で経験するのはいやですが、これならまだマシかと自分で慰めています。
厳寒の夜に駆けつけてくれたM山老師にも感謝いたします。
初めての事故で、初めての公安経験でしたが、以外にも緊張してなかったのが不思議です。
みんなも事故には気をつけましょう、と言っても中国では限界がありますが・・・・・。

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2006年12月19日 (火)

北海道出張だ~

ハルピンも随分寒くなってきた。
そんな中で、寒いハルピンから寒い北海道へ出張へ行ってきた。

ハルピンから新潟空港へ、そこで乗り換えて新千歳空港へ、朝8時に家を出て札幌に着いたのは夕方の5時半ぐらいでした。
新千歳空港には道庁のKさんが迎えに来てくれていました。
長旅の疲れを取りましょうと、札幌の近くの『ていねの湯』という所に連れて行ってもらいました。そこでは食事やレクレーション施設が充実して、とても賑わっていました。Photo_24
雪の札幌で温泉につかり、露天風呂でリフレッシュ。なんと極楽の時間でしょう。

翌日は北海道庁さんと札幌市の共同開催によるセミナーが開催されました。
このセミナーでは講師として、中国市場のことハルピンでの日本商品の状況などをテーマに講演しました。
今年の夏にハルピンで開催した北海道美食フェアーの結果や分析をもとに簡単な紹介などをさせていただきました。
この日の昼食では、札幌駅に出来た駅ビルの中にある『ラーメン共和国』に行きました。
札幌へ来ればやっぱりラーメンを食べたいじゃないですか。
ここには北海道の有名なラーメン屋がズラリと集められています。Photo_25
昼時でたくさんの人がいたので、すいてる店にしようかとも思いましたが、いやいや、行列の出来ている店にしようと、一番たくさん並んでいる店にしました。
『函館麺厨房 あじさい』と言う店が一番混んでいたのでそこにしました。
ここは塩ラーメンが売りらしく、お勧めの一品でした。
あつあつの塩味のスープにしこしこの細めんが絶妙でした。
ここでもおいしいラーメンを食べて極楽極楽。

3日目は、北海道の企業の方との商談会です。
あさ9時から夕方5時半ぐらいまで、びっしりと北海道企業の方とお話させていただきました。
一社30分前後の時間のなかで、北海道の食品や商品をご紹介頂き、来年のハルピンでの北海道フェアーでの有益な商談をさせていただきました。
北海道企業のスケジューリングの労をとっていただいた道庁経済部のKさんには感謝です。この場を借りて再度お礼申し上げます。Photo_26

夜は、道庁のTさん始め国際部の方々のお誘いで夜のすすきのへ繰り出しました。
『すすきの』の名前の由来は知りませんが、『すすきの』の歓楽街としての名前は関西でも知らない人はないでしょう。
北海道の冬の味覚がたっぷり詰まった鍋料理をご馳走になりました。
鍋を囲みサッポロビールを飲んで楽しいひと時で、またまた極楽極楽です。
その後2次会へと繰り出し、『すすきの』の、とある飲み屋に飛び込みで入りました。
そこのママさんはなんと中国の瀋陽出身です。Tさんも中国語が堪能だったので中国語での会話で盛り上がりました。
そこで、ママさんの知っている店で、瀋陽出身の調理人がいる中華料理屋では中国東北料理が食べられるとの話。
メニューには載っていない『麻辛湯』が食べられるのだそうです。
Tさんたちも乗りのりで、ぜひそこへ行こうということになり、みんなで食べに行く事になりました。
その店で、メニューに載っていない『麻辛湯』や『東北家常菜』などを賞味し、ここでも極楽極楽です。

気がつけば午前3時です。
明日も仕事があるのに、まったく懲りない私たちでした。

夜の(いやもう朝か?)のすすきのを後にすることにしました。
すすきのの夜は、見上げればビルの壁面に大きな風俗店の看板が堂々と出ていました。
さすが、日本でも有数の歓楽街です。